• 歳時記

絵と布の画廊歳時記 2013年9月10月合併号

松と稲 1938年 45.5x53.0cm

児島善三郎作「松と稲」45.0 x 53.0cm 1938 年 個人蔵

 

蒼天に金きらきらの秋の田の 池上浩山人

 

「松と稲」、カタカナで書くと「マツとイネ」、

何か、朝の連ドラか大河ドラマのタイトルのように思え声に出して言ってみると何となくおかしく思え、

小さな笑いがこみ上げてきます。

似たような絵を画集で探すと「爽秋」、「初秋」「仲秋」、「高秋」など

二十四節気や季語が使われている画題が多いのです が、この絵は例外的にと言ってもいいほど

「松と稲」です。

 

何回か説明したと思いますが。

この絵が描かれた1938年(昭和13年)は「箱根」や「山湖」、

「炎天」等国分寺時代の名作が誕生した年です。

代々木時代 の修練を克服し画家の第一期の絶頂期を迎えた晴れがましい年です。

もちろん本人がその事を意識していたかは分かりませんが、

後からみると、そうなのです。

フランスやイタリヤ、スペイン、オランダ、やドイツなどの西洋の絵画から日本の油彩画が

「独立」を果たしたと言われる頃です。

 

同時代の作家を含め、この頃 の作風が日本的フォービズムなどと呼ばれる事が多いのですが、

以前から多いに疑問があります。

本家フランスのサロンドートンヌの一室に、

そのあまりに強烈 な色彩の咆哮によりフォービズムと呼ばれた画家達の絵が並んだのは1905年です。

代表的作家としてマチス、ブラマンク、ドラン、マルケ、マンギャン等が いますが、

彼らの活躍からは三十年以上の年月が経っています。

佐伯祐三や里見勝三がブラマンクの晩年の画風を模して描いたのが日本的フォーブとして

誤解さ れ続けてきた事もあるのですが、それでさえも二十五年のラグがある訳です。

1930年を過ぎた頃のパリは正確に分かりませんが、大恐慌の後ですし、

既にダ ダイズムもシュルレアリスムも通り越し、エコール・ド・パリもくたびれていた頃だと思うので、

フランス相手に何もそんなに力むほどのものではなかったはず なのです。

でも、日本的フォーブは全盛期で、同時にダダもシュールもごちゃまぜです。

今と違って、リアルタイムの情報が届かないから、良かったのでしょう か。

それとも明治以来の我が国の美術界がよほどフリーズしていたからでしょうか。
素朴な疑問は解けませんが、掲載の「松と稲」はまじめに考えて日本的フォーブの傑作だと思います。

大昔なら文化、文明の移動に何世紀も掛かっていた訳です から、

三十年掛かってやっと、流れ着いた種が芽を吹き花を咲かせたと考えるのも悪くはないかと思います。

 

浩山人の句そのままに、雲が足早に流れる蒼天に、

見事に色付いた稲の穂並みが金波、銀波を踊らせて大河のようにうねり、

松の葉や枝は頭皮ブラシのように大胆に形象化され、

逆光の部分は地霊のリズムを叩い ているようにも見えます。

「日本の祭りだ!!」松と稲の狂想曲は日本の秋の、血の騒ぎそのものに見えてきます。

 

新着情報

 

小出楢重 ステンド−1     小出楢重 ステンド−2

小出楢重作 ステンドグラス大下絵

木炭・鉛筆・水彩・紙、h. 114cm 1929年

 

国分寺風景歳時記jpg

 

児島善三郎 国分寺風景 12号 1948年

昭和23年頃のアトリエから見た国分寺の田園風景です。

最初に取り上げた「松と稲」と比べてみてください。
「スナオに描く」という意味がよく解ります。

素直すぎて、なんだか拍子抜けしてしまいそうです。

でも、解りやすいから今度の国分寺のミュージアム・ギャラリー

「丘の上A.P.T.」の看板絵画に使おうと思っています。

下に見える家は山中さんの家で当時はモダンな家でした。

当主は禿頭にカイゼル髭のかっこ良くて、おっかない、おじいさんでした。

 

No.787紙布夜着HP  No.787HP2

紙衣(カミコ)綿入れ
揉み渋紙、綿縹 庄内地方でしょうか。受ける感じは渋ポップ。

 

 

ひとこと
11月は7日~9日とアート台北。
23日~25日は香港クリスティーズ
のオークションへと出かけます。
良いニュースをご報告できればと願
っています。

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