吾も春の野に下り立てば紫に 星野立子
児島善三郎「国分寺風景」45.5 x 52.7cm 1951年頃
紫とは違いますがピンク色の空、部分には紫の畠や家の屋根が見える。柳の新芽のようなのが手前にひょろひょろはえている。
同じ場所を何枚も沢山描いています、算盤玉のように見える二階建ての家がおなじみ。
でも、いつもと目線の高さが違う。国分寺の南口を下った辺りから見た本村の風景。
中景のネクタイ生地のようなストライプは残りの丘の土留めらしい。
残りの丘というのは昔、野川を塞き止めて貯水池のようなものを作って府中へ水を送ろうとして、失敗して流された堰の後らしい。
櫻が終わった、ちょうど今の季節と同じ頃の風景でしょう。
ぬくぬくと春の暖かさが伝わってきます。
野川は手前の家のすぐ先を左に向かって流れています。
春の小川は見えません。
国分寺には今も所々に里山や雑木林が残っています。
掲載の写真は本年撮影、国分寺のロマンチック街道。
掲載の句を詠んだ星野立子は高浜虚子の次女で1903年生まれ。虚子は自分から俳句を勧めたのは立子だけという。
『自然の姿をやはらかい心持ちで受け取ったままに諷詠するという事は立子の句に接してはじめて之ある哉という感じがした』
『写生といふ道をたどって来た私はさらに写生の道を立子の句から教わったと感じる』
『明るい鏡に写し取ったような景色を写生した句』
『作者の感情に動くままに景色を描くといった句になって来た』等と我が子への言とはおもえぬほどに書いています。
他に、春の句を探すと、その雰囲気が解るように感じます。
風に揺るるげんげの花の畦づたひ
萩の芽にふるればしなうやわらかに
ちなみに、冒頭の句の吾は「あ」と読むそうです、念のため。
昭和初めの頃の女子の意気如何に高しやと思うと同時に、自然との共生感を眩しく感じます。
新着コーナー
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