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博多画傳三傑展顛末記

昨年11月末に福岡アジア美術館に於いて開催いたしました展覧会から早いもので五ヶ月が経ってしまいました。
会期中には多くの方々にお出かけいただき、ご好評をいただくことができました。
貴重な作品をご出品頂きましたご所蔵家の皆さまやご同業の各社様には改めて御礼申し上げます。
また、展覧会の広報にご協力いただきました新聞社、テレビ局の皆さまにも御礼申し上げます。
その他、ご協力いただきました全ての皆さまにも重ねて御礼申し上げます。
約二年前から考えていたこの展覧会を福岡のみぞえ画廊さんの協力を得たとはいえ
画廊単独で開催できたことに私自身驚いているのが本音です。
広い会場に仙厓作品27点、冨田渓仙作品40点、善三郎作品55点、計122点の作品を展示することができました。
大風呂敷を広げてしまってから、さあ、作品はどうしようとかというやり方は自分らしいといえばらしいところですが、
正直なところ自信がありませんでした。
立派な会場は用意できたけど、中身は大丈夫だろうか。ご当地で笑い者になるわけにはまいりませんし、
まさに、祈るような気持ちで各方面にお願いに上がらせていただきました。
その結果、地元福岡の町人文化顕彰の為ならばと、展覧会趣旨に賛同してくださる皆様のご協力を得ることができ、実現できました。
御所蔵家の皆さまのコレクションに対する誇りと愛情が展覧会の成功に導いてくださいました。
ここで改めて、この展覧会を思いついた顛末をお話し致しましょう。
きっかけとなったのは、善三郎絵画のアジア市場進出プロジェクトです。
低迷するわが国における近代美術市場の収縮と縮小に歯止めをかける為には海外、特にアジアの富裕層のコレクター層に
美術先進国である日本の油彩画の魅力を直接伝える必要を感じました。
大規模な絵画展でも一回こっきりでは効果が限られます。
それに比べオークション市場ならば華やかなプレヴューも毎回開かれ、立派なカタログに大きな写真入りで紹介もされます。
そこで、7年ほど前から児島善三郎と梅原龍三郎を中心に日本の近代洋画を香港クリスティーズに出品するようになりました。
案の定、中国本土や香港、台湾のコレクター達が興味を示し、今日までに両手の指を超える絵が海を渡りました。
昭和のはじめごろから主張されるようになってきた日本的油彩画という独特の概念は海外では馴染みのない表現だと思います。
それを理解してもらう為には、作家の紹介にしても今までとは違う方法をとらなければと考えるようになりました。
明治以降の作家紹介は概ね、どこどこ出身で、いつ上京、美校入学、
ヨーロッパ留学、どこどこの団体所属などを書き連ねるものでしたが、
そういったパリ中心、東京中心の明治維新以来の田舎相手の経歴紹介でした。
それでは、作家の制作活動の中に潜む風土性や祖霊力などを理解することは難しくなります。
いくら、一人の個性といえども親や先祖や郷里の偉人などから引き継いだ遺伝的形質を抜きに作家作品を語るわけには行きません。
また、それを海外の人々に伝え、理解してもらうには、単なる言葉の列記では無理でしょう。
そこで、思いついたのが作家の出生地の歴史風土、土着の気質、その地の信仰や祭礼行事、輩出された人物群像などなどの情報を
なるべく分かりやすく目で見てわかるようにすることでした。
幸い、祖父の場合の博多、福岡ははるか上代の頃から大陸との交易や人の往来で栄えてきた地です。
大陸や半島から次々と新しい息吹が文物とともに押し寄せ逗留した場所でした。
筥崎宮や太宰府天満宮、正福寺などの神社仏閣は今でいう情報、物流交易、人的往来の拠点の役割を果たしていたようです。
国内の他の地域に先駆け、最新の生の海外情報が商人達の富を大きなものにしていったのでしょう。
信長や秀吉が活躍した安土桃山時代には宋との貿易を発展させた室町幕府の後を継ぎ、
商都博多には博多三傑と呼ばれるようになった豪商達が誕生しました。
堺出身の千利久が仕掛けた茶の湯文化が政治、商業の枠を突き破り巨大資本を生み出す仕組みを開発しました。
今回の企画はそんな豪商伝説にあやかり、仙厓和尚、冨田渓仙、児島善三郎の三人の画家の作品を一堂に展示し、
それぞれの画家の背景にある博多町人文化の影響をあぶり出し「博多画傳三傑」としてご披露させて頂いた次第です。
やってる本人達は理解しているつもりであっても、展覧会だけをご覧になった方々にどれだけ想いが伝わったのかは
大いに反省するところが大だと言わざるを得ないと思います。
ましてや、海外の方々までそれが行き届いたかは誠にもって自信が持てません。
思いが大きいのと、時代が江戸から明治、大正、昭和と長きに渡ること、三者の立ち位置の違いなど、
焦点がぼやけてしまったことも反省すべき点としてあります。
かといって、一度きりで終わってしまっては意味がないので、今後様々な形に姿を変えてでも
このトライアングルを鳴らし続けて行きたいと思っております。
是非とも皆様の真摯なお力添えと叱咤激励を賜われますよう、衷心より願っております。
福岡県美術館学芸員高山百合様から頂きましたご挨拶文と、
ご協力いただきました方々の中から頂きました感想文をここにご紹介させていただきます。
次なるご案内を遠からずできますことをこころより願っております。

 

2017年4月

兒 嶋 画 廊

兒 嶋 俊 郎

会場風景(画像クリックで拡大)

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以下、展覧会開催に際して、福岡県立美術館学芸員の高山百合様より頂戴した文章です。

 

本展は、博多の街で活動した仙厓義梵、そして博多の街に生を受けた冨田溪仙、児島善三郎という三人の作家を「三傑」として紹介し、彼らの芸術に通底するものを読み取ろうとする、これまでにない新たな試みである。禅画を描く僧侶であったり、日本画家であったり、洋画家であったり、それぞれが生きた時代や立った土俵は異なっていたものの、三者三様の方法で自らの芸術を深め、独自の境地を築きあげることで、美術史にその不朽の名を刻んだ。
ここで彼ら三人の芸術の特質をまとめて評するのはいささか乱暴に過ぎるかもしれないが、本展の会場にならぶ作品を通覧すれば、自由奔放な筆遣いによるリズミカルな線、明るく爽快な色彩、そして作品に漂うユーモアと親しみやすさなどという特徴を共通して持つということは、誰もが認めるところであろう。そしてそのような特徴がそのまま、博多文化の持つイメージにも接続されることは言うまでもない。彼らは「博多」という豊穣なる文化のただ中で、無意識であるにせよ意識的であるにせよ、土地の歴史や土地の持つ固有の雰囲気を身体化することを通して、その芸術の中に博多の街の有する「ゲニウス・ロキ(地霊)」を宿したのではないだろうか。
風土は芸術をはぐくむ大きな力として作用する。本展では、博多文化に育まれた三人の作品を心ゆくまで味わっていただき、その表現のみならず、その表層のさらに内奥にある美意識や価値観、まなざしの在処に思いを馳せていただきたい。
さらには、彼らの芸術が博多文化に育まれただけではなく、彼らの存在が博多文化を育んだというように、風土によってはぐくまれた芸術は、ひるがえって、風土をはぐくむ大きな力になりうる。本展を、博多の街を愛する多くの人にご覧いただくことで、豊かな歴史ある博多文化がさらに繁栄し、次世代へと継承されていくことを願ってやまない。

 

展示会終了後、アンケートにお答え頂いた方々の文章をご紹介致します。

 

日本放送協会 佐々木理恵 様
アジア美術館の展示室に一歩入ると、圧倒された。なんといっても、作品の多さ。見ごたえのある作品が隙間なくぎっしりと並んでいて、発する圧力のようなものがあった。一般的な美術展とは違った味わい方をもとめられているようだった。贅沢だなと感じるとともに、ふと、その無造作な展示方法に、本来、美術品がどのように生活の中にあったのか、改めて感じてみる時間でもあった。
恭しく遠目に拝見するのではなく、自分の心に響くお気に入りのものを選び、そばに置いて愛でる。その一点を選ぶ作業のようにも思えた。いまも博多に住んでいれば何かと目にする仙厓さん。
一度に並べて見ることで、禅の教えが一貫して込められていることがよくわかった。
印象に残ったのは、児島善三郎のサラリとした作品。
墨や水彩で描かれた掛け軸の作品は、素直に欲しいな!と思うものだった。
こってりとした印象が強い善三郎の作風から、造形の面白さやぬくもりが感じられて、善三郎の魅力を再認識した。
とても近い距離の中に存在していた三人の作品を一度に多く並べてみることができる点は興味深かった。
作風は三者三様だが、博多の大らかさや明るさは、それぞれに存在しているようだった。

 

福岡市美術館 学芸員 宮田太樹 様
仙厓義梵(1750-1839)は、日本最初の禅寺、博多・聖福寺の住持を20年以上にわたってつとめた禅僧である。親しみやすい画風の中にも人生訓や処世術が込められた仙厓の書画は、在世中からおおいに人気を博したようで、彼が暮らす虚白院は揮毫を求める人々の列が絶えなかったという。こうした背景もあって、仙厓の書画は彼と縁の深い聖福寺・虚白院よりも、寧ろ、市井の人々の間に多く伝わっており、とりわけ仙厓の第二の故郷である福岡・博多では多くの個人コレクションが形成された。現在でも福岡・博多の旧家や寺院などを調査していると、仙厓作品に出くわすことがあり、当地のコレクターにとって仙厓の書画は必須のレパートリーの1つとも認識されていたらしい。今、試みに昭和10年5月に開催された「仙厓和尚遺墨展覧会」(主催:仙厓三昧会、後援:福岡日日新聞)の目録に載る出品者を眺めてみると、伊藤伝右衛門・石橋正二郎・原三信・山﨑朝雲などなど、博多の文化人・経済人のオールスターとも言うべき錚々たる顔ぶれが名を連ねていることに気がつく。近代の福岡・博多における仙厓の存在の大きさが実感できよう。先だって開催された「博多画傳三傑展―仙厓・渓仙・善三郎―」(以下、本展)は、近代福岡を代表する画家、冨田溪仙(1879-1936)・児島善三郎(1893-1962)の作品と、彼らの旧蔵品を含む仙厓の書画を一堂に介したものである。渓仙については、仙厓作品の模写も伝わりその私淑ぶりをうかがうことができるほか、自身の所蔵する仙厓作品を画集として出版しているため、彼の芸術活動の中で仙厓が大きな位置を占めていたであろうことは、かねてより予想されるところであった。一方、善三郎については、この手の資料に恵まれず、また、仙厓とは大きくジャンルの異なる洋画を手がけたこともあり、仙厓との確かな関わりを見いだせずにいた。そうした中にあって、本展では善三郎旧蔵であることが確実視できる仙厓の書画も出陳されており、これらの作品を実見できたことは私にとっても得がたい経験であった。また、今日に至るまで児島家で大切に伝えられているという事実も非常に重要であり、善三郎にとって仙厓作品がかけがえのない存在であったことを雄弁に物語っている。
ところで、渓仙・善三郎が活躍した時代の芸術において最も重視されたのは、自己の内面表出であった。これは、近代以降、美術雑誌などでセザンヌ・ゴッホ・ゴーギャンらが相次いで紹介され、再現よりも表現が重視されるようになったためである。こうした潮流の中で、禅僧画家仙厓は、表現主義の画家として新たな位置づけを与えられることとなる。例えば、先般、福岡県立美術館にて開催された特別展「九大百年 美術をめぐる物語」でも紹介され、近年、その評価が高まっている美術批評家・中山森彦(1867-1957)も、仙厓が印象派以降の西洋美術の作家達と道を同じくしていることを、折にふれて述べている。もっとも、渓仙・善三郎の画風展開における仙厓の位置づけについては、今後の研究に待つところが多く、現時点で多くを語ることはできない。しかしながら、本展に出陳された作品を見るにつけ、渓仙や善三郎、ひいては、福岡の近代美術に仙厓が与えた影響は思いの外大きかったのではないか、そんなことをひしひしと感じさせられた。

 

株式会社ジョーキュウ 松村等彰 様
まずは、此の度の三傑展が、成功裡に終られました事を心より、お嬉び申し上げます。
なによりも、今回は日頃よりご交誼いただいている児嶋俊郎氏、阿部和宣氏のご尽力と情熱に、ほだされました。企画の切り口がユニークな上、江戸、明治、大正、昭和と脈々と続く、博多の風土が三人三様と表現された展覧会となった事が、成功の秘密かもしれません。私は、たまたま児嶋家と遠戚に当り、子供の頃より親しみを感じていました。そして喜んで、弊社社長室に掲けている、中興の祖である祖父「松村久吉翁」の若き日の省像画を出品させて頂きました。今迄一度も外に、出した事がない絵を、多くの方に始めて、お見せ出来た事は、意義があったかと思っています。
そして、これからの若い方々にも、博多に代々すごい大家がいた事を伝え続けて、いただければと願っています。

 

加藤美術館 館長 加藤正二 様
わたくしにとって、めったにない企画展だと思いました。児島画廊の児島さんや福岡県美の高山学芸員さんの貴重なお話を聞くことができ、より深く理解し、楽しませていただきました。仙厓の布袋図など、長年にわたって実物を観てみたいと思っていた作品に出会う事ができました。有難いことです。児島善三郎の、全体がブルー系にまとめられた富士山の風景画も珍しく、大変興味深く拝見しました。作品は、一旦個人の所有に帰してしまいますとなかなか表に出てきませんが、このたびの企画展で幸いにも鑑賞の機会に恵まれました。多くの作品を一堂に展示して鑑賞することによって作品の全体像が理解でき、作品収集の観点からも非常に参考になります。
今後ともこのような企画展を続けられることを願っています。

 

安永幸一 様
最初にこの「三傑展」の計画を聞いた時、善三郎と渓仙は近代画家でもあり、特に善三郎については遺族でもあるので何の心配はしていなかったが、仙厓だけはとても気になっていて、変な仙厓(偽物が多いので)が出るのでは?と心配をしていた。しかし、それは杞憂に終った。中山君に相談した、とのことで、充分にそのあたりも配慮されたことがわかり、かつ、展示されていた作品も質の高い作品ばかりであった。このことがこの「三傑展」を質の高い良心的な、意欲に満ちた展観にしていた、と実感した。最初の三傑展としては大成功であろう。
今後継続されるのであれば、渓仙をもう少し充実した方が良いと思う。渓仙は作品も多く、仙厓堂建設資金集めのために描き飛ばした。走り描きのような作品も巷間にはずいぶん出廻っていて、それは渓仙の本領とは言えないので、次回からは作品の質を見極めて出品作を決定されることを望む。善三郎は、さすがに、遺族ならではのあまり目にすることのない珍しい作品等も含まれ、とても面白かった。

 

博多画傳三傑展   
   − 仙厓・渓仙・善三郎 − 博多町人文化の華

仙厓義梵、冨田渓仙、児島善三郎、三者の作品から共通して感じられるものは、生の人間像である。
喜びや悲しみを内包しながら感動し、笑う姿、たくましく生きる人間像である。

また、自然を前にしては、素直にその美しさを表現する姿勢である。自然をねじ伏せて、作り上げる美ではない。
普通、絵画は構想、取材、下描き、修正、本画製作となるが、彼らは現場で得た感動や、情動をそのままに表現する。
だから生の感動が伝わって来る。
そのためか、見ようによっては子供が描いたように見えることもあるが、本物というものはそんなものではないだろうか。
時代を超えて人々の心に刻み込まれてゆく本物の美の形、美の伝承をご鑑賞下さい。

 

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会期:2016年11月25日(金)〜29日(火) 会期中無休/入場料:無料
時間:10:00-20:00(最終日は18:00まで)

会場:福岡アジア美術館 7F 企画ギャラリーA
住所:福岡市博多区下川端町3-1 リバレインセンタービル7階

 ※アクセスは下記

主催:博多画傳三傑実行委員会

 

展示作品の画像をこちらでご覧いただけます(クリックでジャンプ)
「博多画傳三傑展」アフターセール展
会期:12月10日(土)~25日(日)
会場:みぞえ画廊 福岡店 みぞえ画廊のウェブサイトはこちらをクリック

 

仙厓義梵

1750年/岐阜に生まれる。
1789年/博多聖福寺第百二十三世となる。
1837年/八十八歳で遷化。

白隠、良寛と並んで日本近世禅林の三傑と言われる、江戸時代を代表する禅僧。
軽妙洒脱な禅画を数多く残し、風刺に満ちた警句や、博多の民衆との交流から生まれたユーモアに溢れた逸話でも知られる。

 

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ビ_仙厓_いろは弁  ビ_仙厓_ちゃんちゃん  ビ_仙厓_天秤  DSC04080大池_仙厓_太司公読孟子 DSC04076大池_仙厓_筥崎弥勒寺

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冨田渓仙

1879年/福岡市博多区麹屋町9番地、現在の下川端町に生まれる。家は代々黒田藩御用の素麺製造業を営む。祖父は仙厓禅師と親交が合った。
1896年/画家になるために京都に行く。都路華香に師事。
1903年/仙厓に傾倒し始める。
1914年/横山大観に勧められ再興日本美術院展に出品。院共友に推される。河東碧梧桐やポール・クローデルなどと親交を深める。
1936年/57歳で死去

横山大観はその早すぎる死を悼み、数百年に一度しか現れないような偉い画家であるとの言葉を贈った。

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兒_渓仙_柳陰垂釣  兒_渓仙_鳥と太湖石  兒_渓仙_支那山水  兒_渓仙_旧都探梅図  DSC04177思_渓仙_蝦蟇仙人

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兒_渓仙_平野衣笠山  DSC04152鐡_渓仙_不動明王図  DSC04149鐡_渓仙_寿猿  DSC04145鐡_渓仙_牡丹と獅子  DSC04144鐡_渓仙_不動明王

兒_渓仙_牡丹  兒_渓仙_蓬莱山  兒_渓仙_厳島  冨田渓仙如意輪観音

 

児島善三郎

1893年/福岡市中島町に生まれる
1911年/福岡県立中学修猷館を卒業
1913年/画家を目指し上京。二年後病のために帰郷
1920年/再上京
1925年〜28年/渡欧
1930年/独立美術協会設立に参加
代々木・国分寺・荻窪とアトリエの新築移転毎に画風を進化させ、風景や人物画、盛花などに新境地を開く。
1962年/69歳で逝去

日本近代洋画の作家の中でも際立ったコロリストとして知られる。又、西洋美術の骨格を大事にしながら、東洋的油彩画の完成者として現在もアジアの美術市場で高い評価を得ている。

 

 

兒_善三郎_田園雨後  兒_善三郎_筥崎宮  瀬戸の松  兒_善三郎_箱根

兒_善三郎_渓流  兒_善三郎_櫛田神社  兒_善三郎水墨_虎  兒_善三郎_太宰府オオグス−1

兒_善三郎_火見やぐら-  炎天  原鶴温泉  兒_善三郎_筑後風景(横長)

兒_善三郎_太宰府オオグス−2  善三郎_着色水墨 薔薇 兒_善三郎_瀬戸内風景 兒_善三郎_道

兒_善三郎_富士

アネモネ_1954 椿 アマリリスと雪柳 蘆ノ湖 座したる女

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向うの丘