黄色二題
隣る木もなくて銀杏の落葉かな 道彦
降る銀杏 武蔵国分寺公園 志村ふくみ 麗宮
12月に入り今年もいよいよ残すところ一ヶ月あまりとなりました。
ギャラリーの建築、移転や展覧会活動の再開などで、あっという間の一年でした。
現 在丘の上APTで開催中の「志村ふくみコレクション展」は大好評で連日多くの来場者で賑わっています。
展覧会以外の時でも以前の銀座や六本木の時より人の 出入りは多いような気がしております。
文化活動の地方拡散の動きに同調してきているのかもしれません。
近郊の方も家の近くで美しい物に気軽に触れられると 喜んでくれています。
土日は特に家族連れやカップルで見える方が多く、
都心まで出かけなくても美味しい物やきれいな物に出会えるスローシティー的生活エン ジョイスタイルが広がってきているのでしょうか。
その美しさに多くの感嘆の声を頂戴している志村作品ですが、志村先生が植物の茎や葉、
根や実から抽出した 純度の高い色彩は私達の脳の中の記憶を司る海馬などの機関に直接働きかけ、
深く眠っている感動を呼び覚ます力を持っているようです。
その上、複雑に組み合 わされ織り込まれた縞や格子、
段ぼかしなどの文様はあたかも湖底に静かに降り積もった年縞が大地の隆起によって
いきなり眼前に立ち現われたような新鮮な驚 きと感動を私達に与えてくれます。
人々は太古よりの記億の堆積の中から、時に様々な断片を拾い上げ、つなぎ合わせ造形や言語、
音楽や舞踊などに変化させ芸 術を作り上げてきたのだと思いますが、
その結果として表された美しさに共通した感動を覚えるのは、私達の中に記憶の共有化があるからだと思われます。
私達 の遺伝子の中に刷り込まれた記憶は代々受け継がれ、
時には民族や地域を飛び越えて伝わってきているように思えてなりません。
ミトコンドリアに乗った情報、 それは世界の染織の歴史の中に顕著に見る事ができるように感じます。
また、同じ事が悲しみや怒り、苦しみにも言えるので、
現在巷に氾濫している醜悪な表現 行為や残虐な犯罪を安易に見過ごす事はできません。
話しは、表題の黄色に戻りますが、今近所の公園で美しい姿を見せている銀杏の落葉は写真のようにとても見事です。
銀杏の実とともにはらはらぽとぽと と降り積もる有様は無常観そのものです。
古来インドでは太陽の黄金色を表す色として尊ばれ、タイでも仏教の僧衣に使われています。
中国では皇帝色として高 貴の色とされてきました。
ところ変わって西欧ではマイナーなイメージがあるそうです。
我が国では豊穣な収穫を表す色として黄金色や山吹色としても愛でられ てきました。
黄色の染色には黄檗や刈安、鬱金、黄連、山梔子などが使われます。
善三郎の黄バックの薔薇では鉱物のカドミウムイエローが使われています。
因 に丘の上APTの芯柱と階段板は信州茅野市に生えていた黄檗の木を使っています。
倒したばかりの木肌は目を剥くような真黄色でした。
新着コーナー
児島善三郎 オランダ壷と薔薇 6号F 1955年 児島善三郎 西洋婦人蔵 6号M 1925-28年頃
丘の上APTクリスマスのご案内 開催時期 12月17日〜25日
志村展終了後短い間ですが、天井から大きな漁網をつり下げツリーに見立てクリスマスの飾り付けを考えています。
きれいな赤い布を壁にかけたり華やか に盛り上げたいと考えています。
みなさんもオーナメントや手作りの作品を持ち寄って参加して下さい。
パーティーなどは未定ですが、ホームページをご覧下さい。