• 歳時記

絵と布の画廊歳時記2016年1・2月合併号

降る雪のしんしんとして松を降りかくす   水原秋桜子

雪後0188

児島善三郎作 雪後 15号 1934年  個人蔵

 

この絵の描かれた場所は定かではありませんが、代々木初台のアトリエから足元が悪い中そう遠くないところとすれば、
いまの代々木公園、かっては徳川原と言われた場所か、神宮外苑あたりでしょうか。
生涯に雪景を10点も描いていない画家のことですから、
朝起きて雪だったからといっていきなり飛び出したと言う訳でもないと思われますが、
子供と同じで嬉しかったには違いないでしょう。

 

雪の後は、普段見慣れた風景もまるで違って見えるものです。
ほぼ白一色になった風景は遠近がなくなり遠くの木が近くに見えたりかと思うとモンスターのように聳え立って見えたり、
音の反射もなくなり、静まり返った風景が自分だけのもののように見えたりもします。
この画面の中の状況は先月東京に降った雪のように湿った重い雪のようで木々が雪の重みでしなって雪折れしそうな感じですし、
道もシャーベット状に見えます。
まだ誰も歩いていない道の手前にイーゼルを立てて、
木々から滴り落ちる水の音や時折バサッと音を立てて枝を震わせる音を聞きながら、
自分はシャカシャカとキャンバスの表面に音を立てながら、今、目の前にある風景を写し取ってゆく。

 

良い気分だろうと思います。この時分の画風と比べるとると、とても素直な感じを受ける写生画に写ります。

 

掲載の秋桜子の句も同じような感じで、結果としての風景を詠んでいるのではなく、
雪が作者の目の前でどんどん松の木の上に降り積もり、
枝や葉の姿を変えてゆく様を客感的に捉えているように思えます。
ルポルタージュ俳句とでも言えるかもしれません。

 

以前の号でも紹介したことがありますが、水原秋桜子は善三郎より一つ年上で、
帝大医学部卒業の秀才で家業の産婦人科医を継ぎ多くの皇族の出産にも立ち会っているようです。
俳句は高浜虚子の門下でホトトギスの同人ですが、のちに袂を分かって馬酔木を立ち上げます。
掲載句のような師匠譲りの客感的写生から離れ主観的写生を提唱したと言われます。

 

主観的写生とは自己の感情や情緒を一旦通してから表現するのでしょうから
ルポとは正反対の唯美主義的なものになるのでしょうか。
善三郎と秋桜子は交友もあり互いに影響もあったと考えて良いと思いますが、
日本人が自然を描写するとき、当然のようにこの主客論議が繰り広げられ物議をかもすのです。
二人の間ではどうだったのか興味がつきません。
戦前、戦中、戦後とあらゆる表現者たちの行く道が電車の運行表のように複雑なダイヤグラムを描きます。

 

 

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❇︎ オマージュ泉鏡花 「化鳥展」 ❇︎

化鳥展DM表メール用 化鳥資料−1

 

化鳥資料−1

 

3月3日(金)より27日(日)まで上記の展覧会を催します。
「化鳥」は泉鏡花が明治30年に発表した短編で、

 

江戸から明治へと大きく変わる時代の変化の中に取り残されてゆく、
母親と廉という少年の二人が主人公の小説で、廉が語るモノローグに
よって描かれてゆく。
父親の姿は明らかにならないが、以前は広大な屋敷に奉公人も大勢いるような
豊かな暮らしだったのが、今ではわずかに残った橋の橋守りとして川沿いの小屋で
通行銭をとって暮らしている。

 

明治維新という革命で全ての風俗、価値観、思想、信仰、ヒエラルキーが急速に変化してゆく中、
乱世に取り残されてゆく弱者は亡者となって、じっと息を凝らしている。
鏡花の干支が酉歳ということもあり、トーテムとしての鳥が大きなテーマにもなっている。
少年廉が見る娑婆の姿や、母親が語って聞かせた人間と動物の同一性などを鏡花は時間軸も
錯綜させながらシュールレアリスム的手法で描いてゆく。

 

そんな悲しく、美しく、ちょっと怖い、うっとりする世界を古布や奇木、絵画、書などを使って
舞台仕立てのようにして表現して行きます。乞うご期待!!

 

 

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