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児島善三郎展 - 縄文美の継承-

Exhibition Zenzaburo Kojima
2019.5.5-26

2019_児島善三郎縄文の美展_表Mail用   2019_児島善三郎縄文の美展_裏Mail用
 

児島善三郎展 - 縄文美の継承-     代々木初台の丘から武蔵国分寺の田園へ
 

会期:2019年5月4日(土)〜5月26日(日) 月休
時間:12時〜18時
会場:丘の上APT/兒嶋画廊 入場無料
オープニングレセプション :2019年5月4日(土) 18時〜20時

 

小画集「児島善三郎 – 縄文美の継承 -」を会場にて販売いたします。
同展での展示作品を中心に29作品を掲載しています。
 
冊子表紙_03

 
B5版 全74ページ 価格:1,500円
 


 

 

 

「児島善三郎 魂の輝き」               志賀秀孝(府中市美術館)

 

理想の隣人とは自立して隣家に迷惑をかけず、できれば明朗、幸福の人がよい。
画家も当然善良な隣人として隣家と接するべきであるが、
それは画家の内なる自由な自己表現の激しさを封印、冷却するものではない。
 
社会人、家庭人として実に善良な住人であったと思われる児島善三郎であるが、
その胸中は、とてつもなく激しいものであった。
激動の大正・昭和、西洋と東洋の幅広い社会や人々、自然への児島の強いまなざしは、
近現代をはるかに超え、一気に太古の魂を鷲掴みにしようとしていた。
このことは遺された累々たるスケッチや油彩画における葛藤をみれば明白である。
 
児島善三郎の胸中の高まりは、児島がたった一人で向きあった境地と課題の高みに比例していた。
つまり、明治維新以降、ちょんまげと下駄に羽織袴から、
短髪に靴、シャツにズボンとなり、毛筆から万年筆に代わって、
何から何までひっくり返り逆立ち状態となった。
そんな時に、じゃあ、俺たちらしい絵というものは何か?
和洋の混濁の中で持つべき心の有り様は如何に。
 
答えを誰もが出せずにいた。
児島善三郎は紐付きの奨学金など貰わずに私費で欧州遊学し心を自由に保ち、
美術学校に入学せず、つまり師弟の関係も特になく、孤高の境地を得て、
ここに南画を描いた文人の自由を得た。
油彩絵画の何たるかを西洋に学ぶとも、毛筆の柔らかさを忘れなかった。
写実の西洋に学んでも、局面をなだらかにまとめる事なく、
居合い抜きの切っ先のように一気呵成の筆勢は、鋭く鮮やか。
気韻生動を筆の勢いで生み出している。身辺の田園の輝きを美とした。
「理」ではなく「気」で描く。
このことは、黒田清輝ら外光派の画家たちとは、まさしく一線を画した。
油彩でありながら筆線による南画の魂の復権。
平面的な画面構成は大和絵のあでやかさ。
風景把握はまさに土偶的。
ここから一直線に生み出された児島様式は、今なお真に日本的なる絵画を問うている。
新日本主義ではなく真日本的絵画を児島様式は応えている。
児島の内なる温度は今なお冷えることはない。
 
新元号という突如の折り目節目で歴史が代わるものかどうか?
しかし忘れられた課題を現代に今一度掘り起こし、
再提起するきっかけにするには、まさに適当な時期でもある。

 

 

 


 

 

 

「児島善三郎 縄文美の継承」               兒嶋俊郎(兒嶋画廊)
 

今日に至るまで、児島善三郎のヨーロッパ留学帰国後から国分寺時代初期にかけての風景画は、
のちに発表される「アルプスへの道」などの国分寺後期作品のためのイニシエーションのように捉えられていたし、
その手本は中国と日本の南体画や南画にあるとの見方が多かったように思える。
しかし「庭の雨」(1938年)や府中市美術館に展示された「雨」(1934年頃)をよくよく見直したときに、
今までの見方が消し飛んだ。
 
画面の中の描法には南画的な表現も見られるが、
描かれている世界は、まさに今眼前で起きている気象現象とそれを眼前に見ている画家の目そのものだ。
すなわち写実そのものだ。
それも、ただ、表面的形を写すだけではなく、空気の気配や、音、湿度などまさに臨場感までも写しとっているのだ。
赤瀬川原平氏は児島善三郎画集秀作選の冒頭で、それを「空気のリアリズム」と述べている。
私自身も本人が南画の研究書を読んだり研究もしていたので、つい、その影響にとらわれていたが、
画布表面に現れている技法や画方に惑わされ本質を見誤っていたことにようやく気付くことが出来た。
 
以前から、「庭の雨」のでんでん太鼓のように描かれているもみじの木の葉の茂りや
山の字のように描かれている馬酔木の低木などが縄文土器の装飾のように感じていたが、
私自身がこの二、三年縄文にはまって土器などに触れるようになり、
善三郎芸術の根っこにあるのは、まさに縄文パワーだったのではと確信するに至った。
新石器時代の我々の祖先は、自然と人類が正面から対峙し、大いなる恵みを得たり、
その巨大な力に打ちのめされたりしながらも、精霊という概念を作り出し、
自然に寄りかかりながら生命の循環を以って種の保存に成功した。
そして、畏れと感謝の祈りの祭祀と美しき造形物を遺した。
善三郎の絵の中にその力が今も受け継がれているのだ。
昭和15年頃からは大胆なデフォルマシオンは影を潜めるようになったが、
「久遠の生命の把握」などと本人は怯むことなく生命の永遠性を求めて生花や風景の写生に挑み続けた。
そういえば、生涯に三度造った代々木、国分寺、杉並のアトリエも全て縄文遺跡の上だったし、
善三郎の言う日本的油彩画とは縄文的エネルギーの発露そのものだったのではないだろうか。
原始の海から生まれマントルの上でうごめく日本列島そのものの生成エネルギーと、
そこに住むわたくしたちの生活を描いているのだ。
晩年に描かれたバラの花びらなども
縄文土器の表面を飾る大胆な黒い縁取りの同心円や
出生を写し取った人面把手のようにも見えてくる。

 

 

 

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