• その他

尚子さんの作品を前に

20170102歳時記_OR008切抜調整-2-2再調整済み_web
 

 

万葉の鼓動 佐藤尚子さんの作品を前に

 

今、私の手元に見える三百枚有余になる尚子さんの作品は、
ちょうど、今朝の公園で見た強目の春風に揺れる大きな木立のように思える。
何千万枚の新緑の木の葉は風にあおられ大きく揺れている。
繰り返し押し寄せる波のようにうねりながら、
ざわめきながら大きな揺らぎとなって踊っているように見える。
 

一枚一枚の葉っぱは、それぞれが細い枝の先から分枝されたまだ細い枝から生え出し、
又それぞれがもう少し太い枝につながり、さらに太い枝へとその数を増やしてゆく。
ピラミッドの積み重ねられた石のように無数の連鎖となり、
やがて枝は一本の太い幹に集約されてゆく。
その幹は悠々として大地に根を張り余程のことがない限り動こうとしない。
その幹を支える根は樹様と同じ直径の基礎をかたち造り、
幹と枝と葉の全量とバランスを取っている。
 

一枚一枚の葉は太陽の光を受け、
還元力とエネルギーを作り出す工場であると同時にわたくしたちの必需品である酸素を放出し、
枝や幹は鳥や動物たちに食料として花蜜や木の実を与えたり繁殖や子育ての場所を与えている。
 

このように、いたるところに生えている木一本でさえ接近してクローズアップして考察してみると
精密なシステムと循環によってその生を全うしている。
 

なぜ、尚子さんの作品「ぬりえ」を前にこのような感慨をもったのだろうか。
 

「ぬりえ」は一部のものを除いてA4サイズの無地の紙に描かれている。
フリーハンドで引かれた外縁の線から始まって
グラウンドの地面を鍬で剥ぎ起こしてゆくようにボールペンの線で囲んでゆく。
小さいものは2ミリ角ぐらいに、正方形に近いものもあれば、矩形のものもある。
大きな四角で8ミリから10ミリのものもある。
四角の大きさによってA4の中に2000から3500ぐらいの桝が書き込まれるというか、桝が増殖してゆく。
描かれる線は直角には交わらず現れるのは歪んだ四角形の連続である。
昔の陣地とりゲームに似ていなくもない。根気のいる作業である。
描くところを見ていないので分からないが、すべての桝が描かれると、ぬりえが始まるのだろう。
それまでの紙面はプレインカのレース編みや
養蚕に使われる蚕網のように柔らかなネット状に見えているはずだ。
彩色が始まる前に静かな時間が必要なのか否かはご本人やお母様に伺うしかないが。
 

尚子作品には、おそらく、年齢やその他の要素に基づいて数種のパターンが見られる。
一つは、小さな、セルと呼ぶのがふさわしい小部屋とでもいうべきマスの中が、
濃い色の11から12色で塗られているグループと、それらを囲むように、
薄い色と荒いタッチで背景色のように塗られたものが混在している作品群。
それらはその余白効果によって、多彩色の図形が浮かび上がって見える。
 

中には、背景的ではなく、虫食いのように多彩色面がえぐられているものもある。
背景色部分が多いものほど、多彩色部分の形象ははっきりと浮かび上がり、
時には、昆虫のように見えたり、三尊仏や羅漢像、円空仏や友禅流し、波間に浮遊する泡の輪や、
砂から立ち上がっているチンアナゴや顕微鏡の下で見る植物の細胞図などなど、
様々なものが浮かび上がってくる。
 

それらとは別に、ほぼ全面のセルに濃い色の彩色がなされ、
画面全体が色彩のピクセルで埋め尽くされた一群もある。
 

年代、年齢にもよるが、手に入れることが出来た着色材料、
すなわち、カラーマーカーであったり、色鉛筆、フェルトペン、モコモコペン、蛍光色マーカーなどがある。
同じように仕切られたセルも塗られる材料によって発色や反射が違うので大分印象が異なってくる。
また、セルの大きさも若い時ほど大きく、年齢を増すごとに細かくなってゆくのも特徴だ。
 

10代の作品には、パウルクレーの水彩画のように見えるものもある。
 

19から20歳頃になると前述の背景が、様々な形態を浮かび上がらせるタイプの作品が出現しだし、
それらの形が、ダンスでリズムを刻みように、小刻みに振動し、揺らぎが発生してくる。
群像や怪獣やガンダムのように見えるようなものなど多様である。
その他に、地図を思わせるような形や、セルの描き方も他とは異なって、
地中に伸び出す根のように放射状に広がってゆくものもある。
その他、培養器の中で細菌などがゲットーを作り出すように、
空間の中に15から20の多色で構成されたセルが互いに振動しながら、漂っているように見える作品もある。
いずれそれらは、引き合うように合体を始め、ついには全体を埋め尽くすことになるのを予感させている。
 

25から27歳の頃にはどちらともつかない中心力を欠いたような作品も散見され、
なんらかの体調変化や集中の困難があったかもしれない。
 

28から29歳あたりになると、淡いパステルカラーのマーカーが多用されることが多くなり
色彩もセルの並び方も落ち着き、クレーの絵のようなパステルトーンと
詩的とも言える階調が美しい表情を見せてくる。
 

30歳を過ぎた頃から、セルは極端に小さくなり始める。
これは、細胞の分裂が進み、個々のセルも強く振動し始め、
いずれ何かの機関になってゆくような予感を抱かせる。
色数も急激に増し、金彩や銀彩、蛍光色や黒色も加わり、色彩の振動は激しさを増し、
セル全体がねじれや沸騰感を表わし始める。
 

一つ一つのセルが隣り合うセルに引き寄せられたり、離れたセルに影響を与え始めたり、
画面は波打ち、鼓動し、浮き上がり、丘状の塊となってトポロジカルな立体局面を浮かび上がらせてくる。
 

一見では同じ様に見える作品も数多く有るが、一枚ずつが微妙な息遣いの違いを見せる。
 

1cmほどのセルから始まった尚子作品は、やがて、小さなものでは2、3mm
 

ほどのセルになり、余白は姿を消しalloverに輝度の高い色面の集合体となり、
それは立体波状色面となりついには完成形を示した。
 

ここまで、素材の違いや、セルの大きさ、表出してくる形態を見てきたが、
もう一点重要なことにセルの中を彩色するための筆つかいがある。
 

大きなセルも、小さなセルも太いマーカーでベタ塗りされることはない、
一つのマスを6〜8回のストロークで塗り込んで行く、そのストロークの方向は一定ではなく、規則的でもない。
縦のストロークが続くと思うと、いきなり、横のストロークが絡んでくる。
画面のうねりの基になっているのかもしれない。
 

また、そのことを記す上で重要なのは尚子さんのもっている天性のヴァルールである。
ヴァルールとは色価と訳されるが、色それぞれの持つ固有の性質といっても良いと考えられる。
同じ面積の色面にした時、拡がろうとする色、収縮しようとする色、また、遠ざかろうとする色、近づいてくる色など。
 

また、見る人を不安にさせる色や暖かな気持ちにしてくれる色など、様々な色の持つ効果のことを表す言葉だ。
ヴァルールの他にご存知補色関係というものもある。反発したり、大きさが違って見えたり、
目の錯覚を呼び起こす効果も確認されている。
それら二つの効果や私の理解を超えた色彩感覚を尚子さんは天性のものとして持っている、
または与えられていると言った方が良いかもしれない。
 

さて、いよいよ、作品の構成や成り立ちの話題を超えて、
尚子さんの創作活動はどのようなモチベーションによって始まり、
進化しながら約35年間継続されたかについて考察しなければならないと思うが、
そのことが必要であるのかは、甚だ疑問でもある。
なぜならば、尚子さんは、その折々に気持ちよく、その簡単でない作業をこなし、
おそらく、ご自身は深い満足感を得ていると思うからである。
尚子さんの作品の大部分の裏には自筆で何歳になりましたとか
チェッカーズや光GENJI、上々颱風などのメンバーに向けられたメッセージが書き込まれている。
実際にコンサートに足を運んだり、施設への訪問演奏などにも積極的に参加する活発なお嬢さんだったようである。
裏書きの中には憧れの演者に対する共感が繰り返し書かれている。
同世代の女の子たちも当然のように同様のシンパシーと憧れと贔屓の演者との一体感に願いを込めているはずである。
 

唯、普通の女の子はそれを絵画として継続して表現することはほとんどないだろう。
ファンレター、もしくは花束や手づくりの贈り物などに高揚する気持ちを託し、
もし稀にでも、返事が来たりライブの時に握手でもできれば天にも昇る気持ちで、手を洗うこともできないであろう。
然るに、尚子さんは高揚するこころを数多くのセルに分解し感動と感謝のモザイクに組み直すのである。
 

「よかったです」
「がんばります」
「がんばってください」
「おうえんしています」
「おやすみなさい」
「ゆめのなかでおこしてください」
などの書き込みがあり、また、演者の苗字を自分の名前と重ね擬似婚姻を暗示させる表現も見られる。
普通の女の子が白馬の王子様や概念としての結婚に憧れるように、
尚子さんが大好きなヒーローたちに思いを焦がすのはごく自然のことである。
 

しかし、その心のトキメキと、アイドルたちへの慰労が絵の中でのセルの連続と色彩のアラベスクへどのように関係してゆくのかは、
私には未だ理解できていない。12歳の頃からの大きな色面配置から続いて発生してくる分裂と形象化。
二次分裂し再びゲットー化するセル達は圧縮され、圧延され、分散し、再び集合する。
圧力に屈し、ズレ出し、盛り上がるセル達、
まるで、今、眼前に現れた断層のように画面を変形させ、波打たせ、震動し始める。
 

尚子さんの作品は30歳を境に高みへと登りつめてゆく。
そこには、水平も垂直もなく、右も左もない世界が出現する。
無数のセルによる曼荼羅の出現である。
 

なぜ、アイドルへの賛歌が欲望を細分化し、細分化することによって、
平衡を保ちより高い賛辞に昇華してゆくのか。
今、尚子さんの作品が私達の前に奇跡的に存在し、
私達を魅了し無限の広がりと可能性を感じさせる元はそんなところにあるように思える。
何百枚もの曼荼羅が目の前にある。

 

 

丘の上APT 兒嶋画廊

兒嶋俊郎