• 歳時記

絵と布の画廊歳時記2016年9,10月号

 

秋の色糠味噌壺も無かりけり  芭蕉

 

児島善三郎「秋晴」 1939年 10号

児島善三郎「秋晴」 1939年 10号

 
この芭蕉の句を歳時記で使わせていただくのは二回目ですが、秋のすっぽぬけたような澄んだ空の色や、
湿度が抜けきったような畑や木々の色を表すのには一番ぴったりの句だと思います。
これ以上のもの無いんじゃないかと思っちゃいます。
 
掲載の「秋晴」はつい最近画廊に来たものです。
没後五十年の記念に出版した画集のレゾネ編では白黒図版で収録しております。
以前から是非現物に出会い、画面の色を見てみたいと願っていた作品でしたので、出会いをとても嬉しく思っています。
昭和13、14年頃、国分寺のアトリエの横から下の田圃を描いている連作ですから、
大体の色は想像がついていましたが、この空の色は予想と少し違いました。
もっと、強烈な色だと思っていましたが、以外に渋い色で驚きました。
空の色は縹色の上に松葉と同じ緑色のタッチが重なり、
画面全体が緑青のような色で繋がり秋の空気の清々しさが統一されています。
でも、それだけなら、新緑の頃と言われてもわからないかも知れません。
しかし、ここで、嫌でも目に飛び込んでくるのが、画面左側にぶっきらぼうに立っている赤松の木の際立ちです。
「ああ、秋なんだなぁ〜」と一発でわかります。松の幹を曖昧に呆かす湿度はありませんから。
何もない松ノ木、はだかの松ノ木、画面では電信柱と間違われないよう申し訳程度に細い枝と、
生きていますよといった感じで取って付けたような可愛い松葉がついています。
 
掲載の芭蕉の句ですが、なんでヌカミソ瓶が出てくるのかと思われますが、
兼好法師の徒然草の中に「後世を思はん者は糂粏瓶一つも持つまじきことなり」とあるのから、
澄んだ秋の色の中に漂う無の境涯、無常観を詠んだもののようです。歳時記で勉強しました。
電信柱のような松の木を見ていると、踊る念仏で有名な一遍上人の姿が浮かんでくるようです。
捨て上人と呼ばれたように、家も財産も妻子さえ捨てて、念仏一筋に生きた鎌倉時代のお坊さんです。
すべて捨て去り、最後に残った墨染の仏衣さえ捨て去ってしまおうといった凄い方です。
当時、個性の滅却を念仏のように唱えていた善三郎も当然知っていたことでしょう。
 
この裸ん坊の松の木と、画面右で着飾って出を待っているような松の枝や葉の一群との対比が絶妙です。
画面構成上は西洋的分割法で有名な黄金分割法を巧みに使っています。
補助線として画面上下の真ん中に一本横に線を置いてみればよくわかると思います。
右側の松の木の線を使って二つの重なった構成を作り出しています。
この辺が 、善三郎様式と言われる日本的油彩画の真骨頂ではないでしょうか。
調和と破調が同居し、人々の生活も感じられ、夏の暑さや台風の大風にも耐えた稲穂の波が黄金色に輝く、
変化と多様性に満ちたこの素晴らしい風景の美を描き切るのは容易ではなかったでしょう。
国分寺風景の中の傑作の一つだと思います。

 


 

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福井良之助「蝶と太陽」1966年頃10号油彩

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丘の上APT便り

 

博多画傳三傑展のお知らせ

「博多画傳三傑 -仙厓・渓仙・善三郎 
         −博多町人文化の華」展
会場:福岡アジア美術館 7F ギャラリーA
会期: 2016年11月25日(金)〜29日(火)  
              会期中無休

 

DSC04177思_渓仙_蝦蟇仙人

富田渓仙「蝦蟇仙人」 1920年頃

 
11月に福岡のアジア美術館にて開催する「博多画傳三傑展」の準備も佳境を迎えています。
仙厓和尚、渓仙、善三郎、夫々30点以上の傑作が集まり、江戸から明治-大正-昭和と時代を縦に貫通する、痛快なる展覧会です。
10月1日より始まった出光美術館開館50周年記念「大仙厓展」と合わせてお楽しみ下さい。

 
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