海の紺白く剥ぎつつ土用波 瀧 春市
ご覧のように、岩と浪だけの絵です。
ただ、それだけが描かれていますが、手前の潮の流れのすさまじさには目を奪われます。
静止画像とは思えない迫力で右から左へと潮が流れて行きます。
海景で波の絵といえばクールベの作品が有名ですが、この絵とは些か趣が異なります。
クールベの波はいかにもサーファー達がよろこびそうな、
大きく巻いた波で、眼前まできて、大音響と共に崩れ去る波です。
共通するのは画家が磯や砂浜の前にイーゼルを立てて眼前で起きていることを描いているということです。
掲載の絵の波は、岩場に叩きつけられた大波が出口を求めて瀬を横に走っている姿です。
外房や、私が以前夏によくいった神津島の荒磯ではよく見かける光景です。
正面から来る波も怖いですが、行き場を失って走る波にも凄まじい恐怖感を覚えます。
この絵は、年記では1940年、昭和15年となっていますが、
取材と着手はもっと早い代々木時代のものではないでしょうか。
1939年昭和14年頃の文章に雪村周継の「岩浪図」について書いているものがあります。
抜粋すると「あの神秘幽玄な感じこそ本当の東洋の精神だと思った。
(中略)これは全く霊魂だけで描かれている。モウ、画の巧拙を超越してしまっている。
常に自然の中にあって、万物の生命の不可思議さを凝視し、人間本然の姿を感得する事、
そして、その中にある秩序が美だと知った。」
この前の三、四年で善三郎様式と言われる風景画のスタイルを完成させた画家は、
今度は個性の没却ということを声高に叫び、
「現在のように一人の作家の特異性が個性と同じに取り扱われてはならない。
私は特異性と棒引きしても、なお、個性が厳然としていてこそ、
その画に大きな価値があるのだと思います。」
と大久保泰氏への手紙の中で書いています。
このような境地に至った時に、途中で投げ出していた旧作を引っ張り出し、
一気呵成に描き上げたのが本作ではないかと思います。
自分で作り出した幾つものハードルを蹴散らしながら見事に飛び越えられたように思えます。
ここには、松の枝も人工の灯台もなく、ただ、大自然の中の動と静が描かれるのみで、
それを前に画筆を持つ画家の謙虚な姿が見えて来ます。
昔は解らなかったこの絵のよさが少しは解るようになりました。
「自己を捨ててしまった時、神がその空虚に充満する」これも、画家の言葉です。
新着コーナー
丘の上APT便り
前号でお知らせしていた福井良之助没後30年記念回顧展も大変好評裡に終了することができ、
ご出品いただきました方々やご来臨下さいました皆様に御礼申し上げます。
やはり作品は多くの人に見てもらうことをいつも待っているような気がいたします。
続いて国分寺で開催した第二回野見の市にも多くの方々にお出かけいただき
障害者の皆さんの作品はじめ沢山の売り上げを記録することができました。
「何かが変わるエネルギー」どうだったでしょうか。