• 歳時記

絵と布の画廊歳時記 2013年7月8月合併号

夏草  のコピー
児島善三郎作「夏草」45.0×53.0cm 1939-42年 個人蔵

 

道 陽明山   夏草と道
台北 陽明山山麓の小径               狭山市山口貯水池脇の小径

 

夏草に愛慕濃く踏む道ありぬ   杉田久女

 

わが家の西側に最後まで残っていた、

武蔵野の面影を残していた一段高い土地が松ノ木や榎の大木を伐採され無残な更地なっていたのが

四つに分譲され、 今二件の家が完成したところです。

しかし、未だ家の建っていない二区画は大人の背を超えるほどに茂った夏草に覆われています。

冬の間には土ぼこりがもうも うと舞い、我が家に襲来してきていたことを思うと、

自然の力のすごさにあらためて驚きます。

すべてを埋め尽くす勢いは、草間力と形容しても良いかと思いま す。

 

ご覧いただいている「夏草」は私の大好きな作品のひとつというよりは

機会さえめぐり来たれば、手元に欲しいものです。

一般的には解りずらい構図かも知れま せんが、善三郎中期の名作だと思います。

今回は余りの符合に掲載の杉田久女の句と一緒に見て行きたいと思います。

久女は善三郎より三歳お姉さんの薩摩おご じょです。

ホトトギスに投句、高浜虚子に師事しますが、感情表現の激しさからか師匠の虚子から破門されます。

絵も句も、この暑い暑い時節に、遠慮なく熱い 息を首筋あたりに吹きかけてきます。
冒頭に書きましたように夏草は、

あっと いう間に細い道など覆い尽くしてしまう力を持っているのですから、

あんなにはっきりと道がついているのは、誰か が、何かがしきりに往き来しているからだと解りますよね。

 

アルゼンチンタンゴのバンドネオンの調べが聞こえてきたところで閑話休題。

 

曲目は皆様ご存じの “ラ、クンパルシータ”ですのでそれぞれに頭の中で再生してください。

失礼しましたが、今、この組み合わせはどうしてかというと、

善三郎が愛した国分寺崖 線にある「はけ」と男女の愛憎を描いてベストセラーになった

昭和25年に出版された大岡昇平の「武蔵野夫人」を読んだばかりだったからです。

なぜ、読んだ かというと友人から

お前、はけの上に住んでいるのに知らないのはないだろうといわれたからです。

確かに読んでみると『はけ、はけ、はけ、でペンキ屋の書い た小説かと思うぐらい「はけ」が出てきます。』

去年は北海道の木田金次郎美術館を訪ねるのに、

念のために有島武郎の「生まれ出ずる悩み」と「或る女」を 読みました。

時代は隔たりますが、「或る女」も「武蔵野夫人」も

モーパッサンの「女の一生」に代表されるフランス文学のモロ影響で女性の恋愛心理描写にも う、

しつこいぐらい終始します。

 

絵に戻りますが、何故道が意味ありげに観者を絵の奥へと導いて行くのか昔から不思議に思っていました。

一番月並みで通俗な 「道」をほとんどセンターに入れるのは普通は気が引けます。

しかし、この道がやがて「アルプスへの道」レゾネNo.808の道へ

「森と聚落」レゾネ No.1134の道へと繋がってゆくことを思うと、その思い切りは解るような気もしてきます。

久女は昭和21年福岡太宰府市の病院で栄養失調のため五十七 歳で他界します。

同じ年、善三郎は北海道から帰京し、その足で郷里福岡へ旅立ち、

太宰府近郊や筑後川流域を写生して歩いています。

「樋口付近」という同年 の小品に大きく立つハゼの木の紅葉が痛いほど目に沁みます。
駄文のお詫びに大好きな藤村の初恋を捧げます。

 

 

初恋         島崎藤村

 

まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛(はなぐし)の
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり

わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃(さかずき)を
君が情(なさけ)に酌(く)みしかな

林檎畠(りんごばたけ)の樹(こ)の下に
おのづからなる細道は
誰(た)がふみそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ

 

新着情報

 

梅原龍三郎 姑娘 北京時代
梅原龍三郎 姑娘 北京時代  69.8 x 46cm 1942年

 

バンドリ 4点
No.775雲バンドリ L.64cm No.776羽根バンドリ L.98㎝ No.779バンドリ L.120cm No.780紙縒りバンドリ L.60cm 

 

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