愛妻リラの看護の為に芸術を捨てた画家。しかし、彼は画壇の頂点に立った。
「没後10年 織田廣喜 ー 天才だった頃 ー」
会期: 2022年7月23日(土)ー8月14日(日) 12:00-18:00 月曜休
場所: 丘の上APT/兒嶋画廊 (東京都国分寺市泉町1−5−16)
【織田廣喜】
1914年、福岡県生まれ。仕事をしながら苦学して画家となり、同じく画家の妻リラ(1927-1998)の支えで絵筆一筋の人生を邁進した。
1950年に二科会会員、1980年に二科会常務理事、1995年には日本芸術院会員になるなど、2012年に亡くなるまで意欲的な創作活動を続ける一方、
1985年に愛妻リラがくも膜下出血で倒れ寝たきりとなったが、亡くなるまで介護し、同時に創作活動を続けた。
1914年 – 福岡県千手村(現嘉麻市)に生まれる。
1939年 – 日本美術学校西洋画科卒業。
1940年 – 二科展に初入選する。
1950年 – 二科会会員に推挙される。
1960年 – 初渡仏。
1968年 – 第53回二科展で総理大臣賞受賞。
1971年 – 第56回二科展で東郷青児賞受賞。パリで初の個展開催。
1992年 – 勲四等瑞宝章受章。
1995年 – 日本芸術院賞・恩賜賞受賞。日本芸術院会員になる。
1996年 – 碓井町立織田広喜美術館開館。
2003年 – 勲三等瑞宝章、フランス芸術文化勲章シュヴァリエを受章。
2006年 – 二科会理事長。
2012年5月30日 – 98歳没。没後、従四位に追叙された。