• 歳時記

絵と布の画廊歳時記2016年11,12月号

 

日向ぼこ縁の虫喰圧してみる  藤井紫影

 

児島善三郎「冬暖」1947年頃

児島善三郎「冬暖」1947年頃

 

すっかり、葉を落とし庭の真ん中で大きく伸びをしているのは柿の古木でしょうか。
老婆が日向で縁側にしゃがんでいます。
冬の陽射しは低くい角度ながら強く地面に反射して、
光は軒裏まで届き藁葺き屋根の重さを何十年も支え続けてきた垂木までくっきりと照らし出しています。
 
ここは、国分寺多喜窪松風園にある画家のアトリエから歩いて十分も掛からない本村にある古い農家の庭先です。
白色レグホンが二羽わずかに残った餌をついばんでいます。
冬暖とはこういう風景を言うのでしょう。居眠りやあくびが自然と出てくる風情です。
大気の湿度は20%を切るほどに乾燥し空の青さもはるか遠い彼方にあるようです。
 
善三郎が昭和11年に建てたアトリエと住宅あたりは松風園とよばれる別荘地として開発された高台で
水利が悪く耕作には不向きなところですが、南東に開けたU字谷の鼻からの眺めは、
野川の小流れを挟んで両側に広がる田圃を見下ろす絶景で、画家にとっては又とないロケーションでした。
もう10年も前に引っ越してきて、雨降りや旅行でいない時を除いて、
ほぼ毎日、道端や畦や雑木林にイーゼルを立ててキャンバスに筆を走らせている画家を知らない村人はいません。
たいがい、夫人のハルが付き添い日傘をさしたり、筆を洗ったり世話をしています。
 
昭和十五・六年頃には大胆に様式化した画風で、
その田園風景を独立展などで発表し話題を集めていた、
有名な絵描きさんらしい。
その画家が珍しく本村の部落にやってきた。
「ちょっと、庭先を描かせてもらっても良いですか?」
と言って油絵二枚を描いていった。
時は昭和22年の冬である。
 
戦争が終わって2年が経つが相変わらずの食糧難です。
終戦の翌年には郷里の福岡や友人の縁を頼って北海道に出かけたり、食料と画題を求めて長い旅に出ています。
翌年は6月から10月まで北海道に滞在し札幌などで個展も開いています。
知人宛の手紙には、その売り上げも旅費や飲食代で消え失せてしまったと書いています。
この絵が描かれたのは長い北海道滞在から戻ってきてしばらくのことだと思われます。
北海道での無理がたたって体調は芳しくなかったようです。
目の前を歩いている鶏もうまそうだし、きっと毎朝何個かの卵も産んでいるだろう。
なんとか農家の人々と仲良くなって、少しでも食料を分けてもらいたい。
そんな切実な事情が伝わってくるほど分かりやすく生真面目な絵に見えてきます。
 
そんなことを知ってか知らずか、
縁側の老婆は虫喰いの跡をさすったり押したりしながら
居眠りのふりをしているようにも見えます。

 


 

博多画傳三傑展

 

福岡アジア美術館において、博多画傳三傑展を開催しました。
仙厓、渓仙、善三郎の三人の画聖の作品百十余点を一堂に集め、
江戸から昭和へと流れる時間軸と古代より大陸との交易で栄えた商都博多の持つ地霊力、
祖霊力とを交差させる新たな試みでした。
おかげさまで、五日間という短い会期でしたが、千人を超える方々にお越しいただくことができました。
博多祇園山笠がユネスコの世界文化遺産に登録されたこともあり、
地域の文化を守る、育てる、語り継いで行くという行為自体が
都市とそこに暮らす人々の財産であり資産であるという考え方が理解されるようになってきたことは、喜ばしいことです。
お上に頼らない、民の力こそ重要です。
一回限りの展覧会とすることなく、博多画傳三傑シェアミュージアム構想(中身は今考え中)など
膨らませて行きたいと思っております。応援よろしくお願いします。
 
※12月25日までみぞえ画廊福岡店にて博多画傳三傑展アフターセールを開催中です。
博多画傳三傑展の展示風景など詳細はこちらからご覧頂けます。

 

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