• 歳時記

絵と布の画廊歳時記2017年3月4月号

春深し鳩またくゝと、くゝと啼き 久保田万太郎

晩春

児島善三郎 「晩春」 1951年 8号 個人蔵

 

この辺りで、ここ15年ぐらいでとんと姿を見かけなくなった鳥たちに、山鳩と尾長がいます。山鳩はグレーの伝書鳩と違い茶色と茶紫が混じったような綺麗な色の胴体に山鳥のような模様の羽根が美しい鳥です。こののどかな春の国分寺風景を見ていると本当にククウ、ククウ、クルクル、ククウという声がきこえてきそうな気がします。ギャア、ギャアと汚い声で啼く尾長と同じくらいたくさんいた鳥たちです。おそらく、ずっと昔から変わらずこの辺の空を飛び回り、餌をついばみ巣掛けし、子育てをしてきたのでしょう。それが、ほんの、短い間でいなくなってしまったのは誠に寂しいかぎりに思います。

祖父善三郎がここにアトリエを構えたのが昭和11年というのはもう何度もお伝えしましたが、どうやって、このすばらしかった別天地のような場所を見つけたのかは未だ謎のままです。特に、知り合いの画家や物書きが住んでいたような事も聞きませんでしたし、父や叔父たちからもそのことを聞くことはありませんでした。画家の本能として嗅ぎ分け見つけたのでしょうか。それとも、中央本線に乗って甲州へ向かった車窓から突然開けた風景に一瞬で魅了されたのでしょうか。

国分寺に人が住みはじめたのは、旧石器時代の遺跡がある事から、2万5千年位前からといわれています。その後の縄文時代には人口も増え、集落も出現しだしたようです。市内各所にある遺跡からは様々な遺物が発掘されています。大自然と人々との共生を風景の中に求めつづけてきた善三郎には直感的にこの土地の歴史風土が読みとれたのかも知れません。そして昭和26年頃になり、人家が増え環境の汚染もはじまり出すと、さっさと家を家人たちに残したまま杉並に越して行きました。青梅街道沿いの井草八幡宮の近くで、やはり南東に位置した緑豊かな土地でした。アトリエの跡地の横には、後からですが井草遺跡という石柱がたてられています。大昔の人々は絵になる場所に住居を構えていたという事でしょうか。

 

丘の上APT便り

6月の1ヶ月間「縄文シャワー展示室展」という展覧会を開催いたします。縄文土器や土器片、縄文文化の影響を色濃く受けた作家の作品(岡本太郎や勅使河原蒼風他)アイヌや沖縄の工芸品や染織品、また、小生が拾ってきたもので作ったオブジェなどを展示します。現代のパラレルワールドとしての縄文を考えます。この企画は国分寺市教育委員会のご協力を頂き、恋ケ窪遺跡から発掘された土器も展示できる事になりました。乞うご期待!

 

 

新着コーナー

DSC05746    萬鉄五郎_土偶

織田廣喜 「サーカス」14.0 x 18.0cm        萬鉄五郎 「土偶」10.5 x 14.4cm

 

DSC05739          DSC05744

児島善三郎 「椿」4号               藤島武二 「婦人像」17.9 x 13.3cm

 

梅原_りんごと柿web                    梅原_少女像

梅原龍三郎 「静物」24.0 x 27.3cm                            梅原龍三郎 「婦人像」54.0 x 38.0cm

 

浜口陽三_白いレース_歳時記                                            長谷川潔_葡萄_歳時記

浜口陽三 「白いレース」25.2 x 18.0cm                         長谷川潔 「葡萄とオランジェ」17.3 x 29.6cm

 

牧野義雄セントジェームス寺院豊田_歳時記                        牧野義雄ハドソン川上流_歳時記

牧野義雄 「セントジェームス聖堂」            牧野義雄 「ハドソン川上流」

33.8 x 51.8cm                                                                           47.8 x 69.7cm

 

縄文土器_歳時記         勅使河原蒼風_立体2

縄文土器  h53.0cm                   勅使河原蒼風 「無題」62x37x17.5cm