そこには、水平も垂直もなく、右も左もない。
無数のセルが反射し増殖するマトリックスの出現である。
会期:2017年4月15日(土)〜30日(日)月曜休
時間:12時〜18時
会場:丘の上APT/兒嶋画廊
主催:株式会社兒嶋画廊
監修:コミテShokoヌリエ/COMITE Shoko Nurie
協力:キヤノン株式会社 株式会社竹尾 八王子生活館
丘の上APT/兒嶋画廊2017年最初の展覧会は「Shoko ヌリエ Mosaico – マトリックス反射」です。
佐藤尚子さんは、八王子生活館にて染織等の制作活動をする傍ら、
プライベートな時間に「ヌリエ」を300点以上描いてこられました。
この展覧会では、そのうち25点をセレクトし高精細出力した「Shoko ヌリエ Mosaico」を、
兒嶋画廊エディション「マトリックス反射シリーズ」として展示販売します。
※「ShokoヌリエMosaico」はこちらのページでご覧頂けます。
佐藤尚子
1965年東京都に生まれる。
1984年八王子養護学校高等部卒業後、八王子生活文化学校を経て、1988年に八王子生活館入館。
1996年上々颱風CDシングル「鳥の歌」ジャケットに作品提供。2000年スワンベーカリー王子店にて個展。
2002年虎ノ門パストラルホテルにて個展。2003年「薬の知識」2月号表紙に作品提供。
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眼を楽しませる色彩の変奏曲 柏木博(デザイン評論家)
波に洗われ、なめらかな形になった浜辺の小石にふれてみること。
つぎつぎに音の粒が流れていくバッハのゴルトベルク変奏曲を
いつまでも聴き続けていたくなること。
クレーの連続する色彩を見ること。
ものにふれる楽しみ、音を聞く楽しみ、そしてものを見る楽しみ。
わたしたちは触覚、聴覚や視覚への刺激を楽しみや喜びとしている。
もちろん、その刺激は悲しみや痛みへと結びつくこともあるけれど、
わたしたちは楽しみや喜びを求めている。
佐藤尚子の作品「ヌリエMosaico」は、わたしたちに見ることの楽しみや喜びを与えてくれる。
その作品は、たとえばクレーの「花ひらく木をめぐる抽象」などの方形の色彩が連続していく作品をおもわせる。
とはいえ、佐藤尚子の作品は、クレーのように美術の歴史や理論から構成されたものではない。
そのときどきの気持ちを言葉を紡ぐように色彩をつなげていく。
その結果が、クレーにみられるような抽象的表現となっている。
「ヌリエMosaico」は、はじめに幾何学的な格子を描き、
そこに色彩を入れていくという機械的なシステムによっているのではない。
「色」と「色」とがつぎつぎに戯れるようにつながっている。
だから言葉のように色を紡ぎ出しているように感じられる。
その作品は見ることの楽しみと喜びを与えてくれると言ったが、
それらは佐藤尚子の描くことの楽しみと喜びから生み出されている。
美術史家のゴンブリッチは、何かを描くことには、
ときとしていつまでもどこまでも描き続ける「無限の愛好」(amor infiniti )といった感覚があることを指摘している。
佐藤尚子の表現はまさに「無限の愛好」によっている。
それが、わたしたちの眼を楽しませてくれる色彩の変奏曲である。
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色彩絵画の典型 中ザワヒデキ(美術家)
色は、いろいろ。様々な多色のきらめきだ。
多数の隣り合う画素と画素の彩度と明度の差異の群が網膜上に電位差マップを瞬時に形成し、
脳内に感覚の束をさざめかせる。
佐藤尚子の『ShokoヌリエMosaico』は、色彩絵画の典型だ。
色彩絵画を突き詰めたものは二つ考えられ、
一つは20世紀米国の画家アド・ラインハートのように単色で全体を覆うミニマルなモノクローム絵画、
もう一つは佐藤のように多数の異なる色の画素のひたすらな並置である。
但し筆者の考えでは、実は前者は色彩絵画ではない。
その証拠に、ミニマル絵画はシェイプト・カンバスを経て立体彫刻すなわち形態の追求へと向かった。
反対に、後者こそは色彩絵画である。
19世紀仏国の画家ウジェーヌ・ドラクロワは、
英国のジョン・コンスタブルの描く木々の緑がどうして色鮮やかなのかを
「様々な色みの緑が多数並置されているから」と看破、これを色彩の輝きの秘密とした。
そもそも日本語で様々な多数を「色々」と言うのは、洋の東西を超えた色の本質がこれだからである。
こうした理論を知らない美術のアウトサイダーでありながら、
見事に同じ結論に辿り着いた人たちがいる。
ダウン症の佐藤もその一人で、彼女の場合は正確なグリッドではない多数の方形の色点の並置を、
自分のため、時には気に入った男性やアイドルへのプレゼントとして、いとも自然に生み出した。
一部のアール・ブリュットの表現が、美術の純粋理論にぴたりと一致することについて、
筆者は、邪念の不在が理由と考える。
「色彩だけでなくて形態も」などと考えると、純粋な色彩追求の手が鈍るのだ。
「地域の活性化への奉仕」などは最たる邪念だ。
邪念の無い佐藤の表現は、オリジナルである。
色彩絵画の典型ゆえ、同様に色彩を純粋追求した他の美術家の表現に似通うことは、むしろ有り得る。
だが何も知らずに描かれた彼女以上のオリジナルなど、有り得ようが無い。
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「ShokoヌリエMosaico」 兒嶋俊郎(兒嶋画廊)
子供だった頃、ふと、目が覚めた深夜の寝床の深い闇や、
眠れぬ夜の火照った瞼のスクリーンに
七色の虹彩に輝く小さなモザイクを見たのは、私だけだろうか。
小さく見えていた無数の色の点はやがて大きく渦巻きながら輝きを増し、
色彩の迷宮となって、私を恍惚とさせた。
あの、モザイクはなんだったのだろう。
暗闇でオーロラを待つように目を凝らしていると、
やがて、あの、渦が出現し部屋いっぱいに広がって、元の暗闇を覆い尽くす。
そんな、子供の頃の、夢とも恐れともつかぬ思い出を尚子さんの作品を見ているうちに思い出す。
今、尚子さんは静かに眠りながら養生している時が多いようだ。
彼女の瞼には美しい虹彩が元気な時と同じように投影され、眩く輝いているにちがいない。
私たちは眼前にある尚子さんの作品を通してその世界を想像することができる。
太古の時代より人々は夜空に輝く満天の星辰やオーロラなどの大スペクタルを
飽きることなく見上げていたはずだ。
私たちの中にはその記憶が強く染みついている。
美の世界に見ると、古くは装飾古墳の石室内や平安時代の平家納経の装飾経の金銀砂子や
キリスト教のモザイクイコンなどが、すぐ思い浮かぶ。
近現代ではグスタフ=クリムトの「抱擁」に代表されるような作品群や
1960年代の瑛九の作品などが思い起こされる。
今現在に尚子さんの作品「shoko ヌリエ mosaico」を皆さんと共有できることは
どんな意味を私たちに与えてくれるのだろうか。
世界の人々の心から夢色の破片が剥ぎ取られ黒色に塗り替えられて行きそうな予感が充満しつつある今、
尚子さんの作品が福音となり私たちの未来を守ってくれることを祈っている。
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コミテShokoヌリエ/COMITE Shoko Nurie
柏木 博 デザイン評論家
中ザワ ヒデキ 美術家
影山 知明 クルミドCoffee
牧 正大 サクラ洞美術
丸山 晶崇 グラフィックデザイナー
服部 美穂 八王子生活館
那倉 幸一 カメラマン、美術家
高須賀 活良 テキスタイルアーティスト
兒嶋 俊郎 兒嶋画廊
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