児島善三郎作「道」 着色水墨 1945年頃
松とりて世ごころ楽し小正月 几薫
長閑な道を三人の子供が歩き、その後ろを牛を牽いた人が歩いてくる。
善三郎は終戦の年を挟んで、疎開地探しや、戦後の東京の物資不足をのがれて郷里に帰っ ています。
そんな折の新春に描いた太宰府近郊か筑紫野の風景だろうとおもいます。
ここには、戦火の跡もなく静かな農村と故郷の山があるばかりです。
もし、 描かれたのが戦後だとすると、福岡市の中心部中島町にあった実家の家屋敷は空襲で焼け、辺りも一面の焼け野原だったそうで、大きな喪失感に見舞われていた と想像できます。
そんなところがこの絵からは伝わってくるような気もします。
田舎の道にしては、やけに道幅が広く感じられ、まるで滑走路のように見えます。
ひょっとしたら、板付の飛行場が空爆された時のために用意されていた秘密の農道滑走路かもしれませんね。
もちろん、いい加減な想像ですが。
絵に戻りますと、その広い道をほとんど背丈の同じくらいの三人の子供が正面を向いて歩いてきます。
そして、冒頭のように牛を牽いた人が後ろからのんびりと 歩いてきます。
子供は女の子二人に左側に男の子が一人です。
なにか楽しそうにしゃべくりながら歩いているように見えます。
お正月にもらったお年玉がまだ手 つかずに残っているのかもしれません。
ここで、いきなり話が飛びますが、お許しください。
まず、「道」と言えばフェデリコ・フェリーニの「道」La Strada 、
ジェルソミーナで有名な、が思い出されますし、東山魁夷の「道」がすっと出てきますし、
善三郎の「アルプスへの道」も教科書にも載っていました。どれも 戦後の有名作品です。
1945年を境に世界中で人々の生きてゆく上の価値観が大きく変わりました。
今まで歩んできた道、これから目指してゆく道を自ら問わ なくてはなりません。
戦争に勝とうが負けようが、
沢山の人々の死によって償われた道をそのまま歩き続けてゆく訳には行かなかったのだろうと思います。
ヨー ロッパでは共産主義や実存主義が喧伝され、不条理という言葉が一時を支配しました。
我が国でも大差はありませんでしたが、東洋には「国破れて山河有り」と いう言葉があります。
回り道になりましたが、この絵からはその言葉が伝わってくるような気がします。
お年玉をポケットに入れた三人の子供、人物は現実では ないかも知れません。
普通、絵の中にこんな風に点景人物を配する事はあまり考えられないので、
いきおい、幼き頃の自分をそこに投影してしまったのかもしれ ません。
国分寺ニューギャラリー棟上げ
1月30日に自宅横に建築中のギャラリーの棟上げ式が行われました。
住宅と同じく藤森照信さんの基本設計です。
完成後は「丘の上APT」(アぺテ)という 小さなギャルリ、ミュゼになります。
完成は3月末の予定です。
棟上げは、四隅を清めるだけにして、という予定でしたが、結局盛大な飲み会になりました。
新着情報
梅原龍三郎「南瓜」岩彩、紙本 1948年 50×44.5cm
台湾での善三郎、龍三郎展を意識してから、梅原を買うことが多くなりました。
棟方志功 「しずくの柵」木版画彩色
実をいうと普段よく見る志功はあまり好きではありませんが、
福岡県立美術館で見た「東北経鬼門譜」や同時期の大作群は
ものすごいパワーで魂を揺さぶり起こ されました。
この小品も同じく、縄文パワー全開という感じです。
顔に入れ墨をした美女が舞を奉納します。久しぶりにぐっときました。